万葉集を開くと、ひときわ鮮やかに、そして凛とした美しさを持って立ち現れる女性歌人がいます。それが、飛鳥時代を代表する才女、額田王(ぬかたのおおきみ)です。
彼女は、恋・政治・自然が密接に絡み合う時代のただ中で、個人の感情を抑制のきいた言葉で表現しながらも、同時に「公の場」にも耐えうる和歌を詠んだ人物でした。

今回は、なぜ彼女が「万葉集の華」と称えられるのか、その生涯と唯一無二の感性に迫ります。
天智・天武両天皇に愛された「時代の寵児」
額田王は、7世紀の飛鳥時代に活躍した宮廷歌人です。彼女の生涯を語る上で欠かせないのは、天智天皇、そしてその弟である天武天皇(大海人皇子)という、二人の最高権力者との関わりです。
彼女は単なる「美しい女性」としてそこにいたのではありません。宮廷の重要な行事において、場を代表して歌を詠む大役を担うほど、その知性と表現力は群を抜いていました。激動の時代、二人の天皇の間で揺れ動きながらも、彼女は常に自らの感性を言葉に刻み続けました。
額田王の和歌
歌の特徴
額田王の和歌には、次のような特徴があります。
- 感情を直接ぶつけず、自然や場面に託す表現
- 私的な恋心であっても、公的空間を強く意識
- 女性歌人でありながら、宮廷歌人としての格調
そのため彼女の歌は、「情熱的」というよりも、緊張感と知性を伴った美しさが際立っています。
場の空気を切り取る「心の解像度」
額田王の歌は、目に見える情景を通じて、言葉にできないほど微細な「心の揺れ」を描き出す点に長けています。
彼女は、「寂しい」や「会いたい」といった直接的な言葉を多用しません。代わりに、風の音や、草花の揺らぎ、光の移ろいに自らの感情を託します。その「心の解像度」の高さこそが、千年の時を超えて私たちの胸を打つ理由です。
そんな彼女の感性が最も純粋な形で現れているのが、このサイトでも紹介している次の一首です。
「君待つと 我が恋ひ居れば 我が屋戸の 簾動かし 秋の風吹く」
この歌では、ただ「風で簾(すだれ)が揺れた」という日常の風景が、待つ人の切実な期待と落胆を見事に表現しています。【万葉集・日英独訳】君待つと(額田王)― 風に「来たかも」と期待してしまう心
その他の額田王の歌
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翻訳を通して見えた、額田王の「自立した心」
抑制された自立性
本サイトでは、和歌を現代語訳するだけでなく、英語やドイツ語への翻訳も試みています。その作業を通して見えてくるのは、原文を読んだだけでは気づきにくい、言葉の選び方や視線の向きです。
額田王の歌を翻訳しようとすると、感情を直接言い切る語が、意外なほど少ないことに気づかされます。代名詞や主語をあえて曖昧にし、相手や状況との距離を、慎重に保ったまま言葉を置いているのです。
英語やドイツ語では、主語や感情の主体を明確にしなければならない場面が多く、そのたびに「ここで、彼女は本当に気持ちを言っているのか」「それとも、あえて言わずに留めているのか」を考えさせられます。
翻訳を重ねるうちに浮かび上がってくるのは、感情に流されるのではなく、自分の立ち位置を見失わない強さです。期待し、少し傷つきながらも、その感情を過剰に語らず、静かに受け止める姿勢。それは、額田王の歌が持つ「抑制された自立性」とも言えるものかもしれません。翻訳という作業を通してこそ、その輪郭が、よりはっきりと見えてきたように感じられます。
額田王ゆかりの地
⛩️ 下居神社(おりいじんじゃ)
京都府宇治市にある下居神社には、額田王の歌碑があります。「秋の野の み草刈り葺き 宿れりし 菟途の宮処の 仮廬し念ほゆ」と書かれています。
📍〒611-0021 京都府宇治市宇治下居149

おわりに ―― 額田王という歌人
生没年すら明らかでない額田王ですが、小説やドラマ、漫画、宝塚歌劇の舞台など、さまざまな作品の中で今も親しまれています。およそ1400年もの昔に生きた女性の歌が、こうして現代の私たちの心にも深く沁みとおるのは、やはり彼女の才能の賜物と言うほかありません。

もし機会があれば、額田王を題材にした作品にも触れてみてください。彼女が生きた時代を知ることで、和歌を読むときの感覚にも、何か小さな変化が生まれるかもしれません。
出典:*1: © Suomi3 / CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)


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