百人一首第10首は、蝉丸による「これや此の」という一首です。人が行き交い、出会い、すれ違い、そしてまた別れていく。この歌は、そんな「境目」に立ったときの感覚を、驚くほど簡潔な言葉で切り取っています。
この記事では、歌の背景をたどりながら、日本語・英語・ドイツ語の多言語訳とともに、人と人との距離について考えてみたいと思います。
和歌の基本情報と多言語訳

まずは、原文と多言語訳から、この歌が置かれている場所に立ってみましょう。
和歌(原文)

これや此の
行くも帰るも 別かれては
知るも知らぬも
逢坂の関
— 蝉丸
英語訳
Is this the place?
Where those who go and those who return
part onto different paths,
where both familiar faces and strangers
pass one another—
is this the Ōsaka checkpoint?
ドイツ語訳
Ist dies jener Ort?
Wo Gehende und Zurückkehrende
auf verschiedene Wege auseinandergehen,
wo Vertraute und Unbekannte
aneinander vorübergehen—
ist dies der Grenzposten von Ōsaka?
現代語訳と歌が描く情景
ここが、あの場所ですか?
行く人も、帰る人も、
それぞれ別々の道へと分かれていく
知っている人も、知らない人も、
ここですれ違っていく
あの逢坂の関ですか?
「これや此の」はどんな情景を描いているのか
舞台になっているのは、逢坂の関。都と東国を結ぶ交通の要所で、人の往来が絶えない場所です。この歌が見つめているのは、特定の誰かとの別れではありません。人が行き交うその瞬間、関所という一点に集まり、そしてまた散っていく無数の人生です。
「知るも知らぬも」という言葉が示すように、親しい人も、初めて見る人も、同じ場所を一度だけ共有し、それぞれの道へと去っていく、その様子をどこかユーモラスに描いています。
作者と歌が詠まれた背景を深掘り

続いて、この歌を詠んだ蝉丸という人物と、歌が生まれた背景を見ていきます。
作者について:蝉丸という歌人
蝉丸は、平安時代前期の歌人です。伝承では、盲目の琵琶法師であったとも伝えられていますが、人々の行き交う姿を見ているのだから盲目ではないはずという見方もあるようです。
いずれにせよ、詳しい生涯の記録は多く残されていませんが、逢坂の関のあたりに庵を置いて暮らす琵琶の名人というイメージが後世に伝えられてきました。
歌が詠まれた背景:逢坂の関という場所
逢坂の関は、山城国(現在の京都府)と近江国(現在の滋賀県)の国境となっていた関所で、「大阪」にあるわけではありません。都へ向かう人と、都を離れる人が交差する場所でした。この歌は、百人一首の中では珍しく、重さや湿度よりも、動きと賑わいが前に出ている歌です。
① 冒頭の勢い
「これや此の」と、いきなり指差すように始まります。これは説明でも感慨でもなく、実況中継の声に近い。立ち止まって考える前に、目の前の光景がぱっと立ち上がる書き出しです。
② 人の動きが中心にある
行く人、帰る人、知っている人、知らない人。感情よりも先に、人が動いている様子が次々に並びます。悲しみや未練に寄らず、「へえ、ここってこんな場所なんだな」と、楽しむような視点で眺めている感じがあります。
③ 蝉丸の立ち位置が“軽やか”
蝉丸は、誰かと別れている当事者ではありません。逢坂の関という場所に立って、人の流れそのものを面白がるように見ています。だからこの歌には、嘆きも、教訓も、重たい意味づけもありません。
つまりこの歌は、人生の分かれ道を、悲劇ではなく「人々の活動」として切り取った歌です。そしてその躍動感が、明るく、軽く、どこかユーモラスに感じられるのです。
千年の時を超えて:管理人独自の解釈

では最後に、管理人の目から見たこの歌のイメージを自由に語ってみます。
エッセイ:境目に立つということ
この歌は恐らく、当時の人(蝉丸)にとっては、現代の私たちが「国際空港」の喧騒を見ているような気持で詠んだ歌ではないかと思います。あの出発前のチェックイン、手荷物検査。見送る人たちとの別れ、ゲートにたどり着くまでの、ごった返した団体客の群れ。
そこには、今から楽しい旅行に出かける人もいれば、出張者もいる。そして母国に帰る人もいる。100人100色の思いを抱いて、ある者は胸を躍らせ、ある者は疲れ果て、またある者は、哀しみの涙をこらえてその場所を往来するのです。
それぞれの胸中によぎる思いを隣り合わせた人は知る由もなく、ただその「関」を通ってそれぞれの目的地へ旅立っていく。それは人生の縮図のようにも思われます。通り過ぎていく、二度と会わない人々が、それでも一度は間違いなく同じ場所に立った、その事実と瞬間を切り取ったのが、この「これや此の」という歌なのだと思います。
「これや此の」へ応える一首(自作短歌)
行き交いて
名も告げぬまま
別れゆく
それもひとつの
出会ひと思ふ
— YUKI
日本には「袖振り合うも多生の縁」という美しい言葉があります。すれ違った人の袖が触れた程度の事でも、その人とは前世からの縁があったのだという意味です。外国暮らしで旅をすることの多い私ですが、どんな出会いも大切にしたいと思いつつこの「返歌」を詠みました。

この歌が描く人との縁の妙味が、皆さま自身の記憶ともどこかで重なれば幸いです。また次回、別の和歌の世界でお会いしましょう。
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※絵札画像出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)


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